「貧乏だった人のソウル大学面接」

「貧乏だった人のソウル大学面接」

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(1)ソウル大学校 竹の森 4時間 3
(2)私は本当に文字通り、引き裂かれるほど貧しい家で育ちました
(3)食堂仕事をしている母と二人で6坪ぐらいの半地下の部屋で中高校時代を過ごしました
(4)母は一日10時間以上仕事をしながら生活費を稼ぎました
(5)随時募集を志願する時が私は一番大変でした。思ったより高い願書代に手を震わせながら2ヶ所の大学だけ志願しました すぐに家に願書代を出すお金がなかったので、我が家の事情を大体分かる担任の先生がくれた10万ウォンで2ヶ所の大学を志願することができました
(6)運良く私はソウル大学で面接を受ける機会ができました 母は涙を流しながら喜び、車代として5万ウォンを用意してくれました 母は残念ながら忙しい食堂の仕事でついて来られませんでした
(7)私は地方に住んでいたのでバスの切符を往復で切って残った1万5千ウォンを持ってソウルに上がりました 朝の面接だったので前日の午後に上がって地下鉄に乗ってソウル大学の入口に行ってチムジルバンで寝て学校に行くことにしました
(8)生まれて初めてソウルに着いたんですが、お金がなくなってしまいました かばんを探したりポケットを一時間ずつはたいてもお金が見えませんでした
(9)私は待合室に座って泣いて、気を取り直して歩き始めましたターミナルからソウル大に歩いて行くにはどう行けばいいかと聞いたらみんな呆れていましたが、大体教えてくれた方向に歩いて行きました 2~3時間くらい歩いたかな。とても寒くて、お腹が空いて、喉が渇いて、大変でした
(10)夜11時が過ぎた時間にどこかも分からないアパート前ベンチで悲しそうに泣いていると警備のおじさんが近づいてきました
(11)おじさんは私に何かあったのかと聞いてくれて、私は私の事情をやっと話しました おじさんは驚きながら私を宿直室に連れて行ってくれました。ラーメンを作ってくれながら自分は一日ぐらい寝られなくても大丈夫だからここで寝て明日の朝退勤しながら私を乗せてくれると言いました
(12)おじさんは車からシャツを脱いでくれながら服がとてもダサいからこれを着て行けと言って私は申し訳なくて出られないと言ったら電話番号を書いてくれながら後で大学にくっついて服を持って来なさいと言ってターミナルまで行く時に車代をしろと一万ウォンをくれました
(13)私はそのおじさんのおかげで面接を受けることができてソウル大学に合格しました合格者発表が出て一番先にお母さん食堂に電話をしてその次はそのおじさんに電話を差し上げました おじさんは自分の仕事のようにとても幸せそうで後でご飯を食べようと言いました
(14)ソウル生活は思ったより易しくなかったです。思ったよりお金がたくさんかかるし、家庭教師とバイトも限界がありました
(15)粘り強く50万ウォンを集めた私は最初の学期が終わった日に目をつけた洋服を買いました 7ヶ月ぶりにおじさんに会って素敵な洋服を渡しました シャツは返しましたが、そのシャツに合う素敵な洋服もぜひ差し上げたかったです 幸いにもおじさんはずっと断りましたが、結局は本当に喜んでくれました
(16)生まれて一番大きなお金を使った日だが、その日だけは本当に幸せだった

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