映画だけ見れば分からない指輪の帝王結末JPG

映画だけ見れば分からない指輪の帝王結末JPG

ロード·オブ·ザ·リングを映画でしか見たことのない人はよく知らないかもしれないこと
一体フロドは結末からどうして去ってしまったんだ
いや、正直どうして行ったのかも 分からないけど
一体どこへ旅立ったのかもよくわからない
物理的にヨルダン川を渡るのか

映画だけ見れば分からない指輪の帝王結末JPGしかも一体なぜ去るのかという質問にも
私たちはシャイアを救うために旅立ち
ついに救い出した
でも私のためのものではなかった
という曖昧な説明をするだけで

映画だけ見れば分からない指輪の帝王結末JPGそれでもフロドが映画から離れる理由についての答えを推測できる手がかりを提供する
まだ魔術師王に受けた傷が治っていない
と言うから
実際、原作でフロドは指輪遠征が終わった後も
魔術師王に刺された日、シュロップに毒針を打たれた毎日
当時の状況に戻ったようにひどく痛がっていたと描写されている

映画だけ見れば分からない指輪の帝王結末JPGつまり、フロドが去った理由は原作を読んだ人だけでなく
映画の描写をよく見るだけで類推できる
指輪遠征中に負った傷から未だに苦しんでいたからだ
原作ではより明確に答えを与える
正確には
この世では絶対に癒せない傷を得たから

映画だけ見れば分からない指輪の帝王結末JPGところがどこへ旅立ったのかに対する答えは映画では依然として得られない
悲しい雰囲気やニュアンスを見ると 二度と戻れない場所に行くような気がするんですが
本当に天国に行っちゃうのかなとも
もう知ってる人も多いけど、プロドが行ったところはあの世ではなく
バリノール
という大陸である

映画だけ見れば分からない指輪の帝王結末JPGバリノールは妖精と神々が住む大陸であり
あんな不滅者の住む所であるため、不滅の地とも言われている
必滅者たちは元々行けない所という点で 天国と似ているんですが
厳然と現世に存在する所
あの世ではない
妖精たちにとってはあの世のような場所でもある

映画だけ見れば分からない指輪の帝王結末JPGロード·オブ·ザ·リング 世界観の妖精は不滅者
身体は事故や兵士の他殺で死ぬかもしれないが、本当の人間のように死ぬことはできない
なぜなら魂が現世から抜け出せないから
ではどうなるか
妖精たちの魂はバリノールに召喚され
大雑把に待ち受ける街
新しい身を受けて復活する
その後バリノールでよく食べてよく暮らすんだよ
たまに悪いことをした妖精は 待ち時間が永遠に戻ってこない場合もあるけど、とにかく

映画だけ見れば分からない指輪の帝王結末JPGここは不滅者たちの住む所らしく天国に違いないので
治癒できない傷を負ったフロドもそこでは安息を見つけることができる
そもそも必滅者ホビットがバリノールに行くことを許されたのも
フロドが指輪運搬者という偉大な業績を成し遂げたからだ
ビルボも一緒に旅立つのがその脈絡
サムも指輪を運んだことがあるから、 指輪運搬者として認められるんじゃないかって
それでサムはプロドと違って現世を楽しみ、妻が死ぬやいなやバリノールに旅立つ
老いて死ぬ前にフロドには会ってみようという感じで

映画だけ見れば分からない指輪の帝王結末JPGだから簡単に言えば
フロドはいいところへ療養に行ったこと
そして。
不滅の地に行ったからといって、プロでも永生するわけではないから、あの世でもないし
そこで死ぬまで一生楽によく食べてよく生きる
ただし、フロドは永遠の中で地に戻ることはなく
そもそもバリノールに行った者たちが真ん中の地に帰ることもできなくなっている
それでプロドが三道川を渡るのかと解釈した人たちも非常に間違っているわけではない
どうせ真ん中の地に残った人たちの立場で プロドを二度と見られないから

映画だけ見れば分からない指輪の帝王結末JPG実際、トールキンも個人的な手紙でフロドがバリノールに向かったことを
冥界あるいは煉獄に行くことに例えたりもした
フロドが指輪運搬者になることを自任した理由は
私は世の中を救いたい しかし私の力は足りない
それでも私は自分の力が届く限り行けるだけ行ってみる
という心理だった

映画だけ見れば分からない指輪の帝王結末JPGしかし、フロドは最後の瞬間誘惑に屈してしまい
これは誰も抵抗できない誘惑だったので、誰も彼のせいにしなかったが
フロドは自分を責めることになった
元々は自分の故郷シャイアに英雄として帰還することを夢見たが
罪悪感のために自らを罪人と規定し、自分を裁くようになったということ
だからストーリーでフロドがバリノールに旅立った理由は肉体的な傷のためだったが
実際、罪悪感という心理的な傷のためでもあるという作家の意図もあったのだ

映画だけ見れば分からない指輪の帝王結末JPGトールキンはフロドがバリノールに向かった行為を
煉獄に行ったこと
と説明する
ダン
処罰の煉獄ではなく治癒と補償としての煉獄
という意味で
罪悪によって傷つかない純粋な世界で
自虐的な罪悪感ではなく、本当の意味で自分を振り返り
些細なことや偉大なことの中で自分の立場を探求する時間を得たこと
とトールキンは描写する
このような描写のニュアンスとディテールを見ると
作家の持つプロドに対して非常に慈愛深く憐憫に満ちた態度を濃く感じることができる

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