梨泰院参事49祭に参加した歌手ハリムの入場文

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(1)hareem76 昨日梨泰院に行ってきた後、多くの方々が私に応援のメッセージと反対の話をDMで送ってくれました。 どんな意見でも私は大丈夫です。 ただ、皆さんの意見が私から止まるのではなく、公論の場に出て亡くなった方々を忘れないように役に立つことを願って長い文を書いてみます。
(2)まず、たくさんの応援と感謝のメッセージ ありがとうございます。 そして逆に叱責された多くのDMに対していちいち答えられないのでここに整理して残します。
(3)私に多くの人々の愛で食べていく大衆音楽家で中立を守らずどちらかの側に立ったという話をする方がいました。 音楽が中立を守るべきかということは、音楽界の長年の悩みの一つであり、この場で短く言うのは難しいです。 気になる方は季刊誌#マニエル·ド·ボワールManire de voir3巻<ミュージック愛と抵抗の間>より楽譜の上に理念の記号を集めろをお読みください。
(4)次に、私はどちらの側にも立つのではなく、手を握ったのです。 寒い所で家族を失った悲しみに泣いている人々の手を正確には私がしたというより私が歌った歌が手を握るでしょう。
(5)私が歌った歌は「慰労」と「遠足」という歌でした。 <慰め>の歌詞は世の中には悲しくても泣けなかった人が多いと言います。 そこにいらっしゃる遺族の方々は皆、泣きたいと思っても怒りの対象を明確に確認する方法がなく、まだ涙を流していない方々です。 そして<遠足>は遠足のように短い人生を送った方々を哀悼し、残った方々には贈り物のような毎日を送ることを願う気持ちを込めて歌いました。
(6)私になぜ歌で彼らを扇動するのかと聞く人もいました。 しかし、一度歌詞の内容を探してみてください。 検索を通じて私が歌ったその歌の歌詞のどこに扇動的な内容がありましたか。 私は扇動家ではなく、ただの音楽家です。 そして音楽の中では長年人々の喜怒哀楽が込められたワールドミュージックが大好きです。 私の好きな音楽の誕生の背景には数多くの人々の悲しみとつらい人生が溶け込んでいます。 人々は楽しい時も歌いますが、悲しい時はもっと歌いました。 残念ながら、最近のほとんどの音楽はエンターテインメントの中に含まれていると言われていますが、だからといって私たちが楽しい時だけ歌うように手なずけてはいけないと思います。悲しい時も私たちは歌わなければなりません。 それが私が昨日梨泰院で歌を歌った理由です。

梨泰院参事49祭に参加した歌手ハリムの入場文

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(1)DMはもう私に送るのをやめて、皆さんの貴重な意見は惨事の真相を究明するための公論の場におっしゃってください。 時間をかけて、悪質なコメントを送った方々は 愛に満ちた年末をお過ごしください。
(2)写真は歯
(3)文章を書く私の姿を表現したのです。
(4)コメント129個全部見る。
(5)11時間前·会員様がkimjungmin_jakekim様の掲示物が好きです。

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