朝鮮の人々が壬辰倭乱当時の姿を見て生きたがるのは万物共通なのに、なぜ日本の奴らは死にたがるのかと思って降伏した日本人たちに聞いて当時の日本人たちが答えたこと。
1当時、日本人は領主に隷属された奴隷であるうえ、一度ビビるように認識されればいじめられるので、必死に戦うしかない。
2 衰えると自殺でもしてこそ家族と子孫が社会で認められる
農民たちが持っているのは農機具が少しあって刀もなく土地もなかったので領主に借りなければならなかった 約25俵が土に3~4俵あり, そこから約25俵を捧げなければならなかった これも出せなければ穀物を借りてでも返すか子供を鐘として捧げなければならなかった このようなやり方で正福祉の住民を扱えば, 正福祉を維持することは絶対できないだろう
幼い時から戦場に連れて行かれ苦しめられてまともな家庭も生活もない このため愛郷心や家族愛のようなものもまともに残っていない
士族として朝鮮時代の公式的な税率は20同時期、日本は90~200万ウォンを稼ぐと180万ウォンを差し引くということ、そして壬辰倭乱当時、破格的に下げて朝鮮人から受けようとした税金が60代だった。
– 看羊録の一部内容を抜粋 –
文禄·慶長の役当時、儒教思想と中央集権体制だった朝鮮とは異なり、日本は地域の領主が互いに戦った戦国時代だったため、中央政府がなく過度な収奪を防ぐことができなかった点。
死なずに逃げたり捕虜になったりすると、領主に所属する家族が災いし、子孫が集団いじめを受けるが、死んだらむしろ認められるので、むしろ死んだ方がましだと思ったという。